狭野神社
高原町にはいくつかの神社があり、年間30万人もの人々が訪れているといいます。
今回はその中の一つである、狭野(さの)地区にある狭野神社へ。
ご社殿へと向かう参道を歩くと、樹齢400年以上といわれる狭野杉があり
ほの暗い杉並木や森の香りや静寂に心洗われて、清々しい気持ちになります。
今回は狭野神社の神主である、小多田さんにお話しを伺いました。
―狭野神社についてのお話を聞かせてください。
小多田さん:神武天皇様(日本の初代天皇)のお生まれになられた神社ということです。2500年前位の話になりますが、元々は上にある神社(皇子原)に神武天皇様のお産まれになられた場所ということで祭られていましたが、噴火で社殿が燃えたりなどの紆余曲折を得て、今のこの地にお鎮まりいただいています。
ご社殿は明治40年位に宮崎神宮より移築して建てられたものでございます。
他にも天孫降臨の高千穂峰を中心として、霧島神宮などをはじめ、いくつかの神社があります。“山岳信仰”というひとつの信仰があり、神様と仏様をいっしょに祀るような時代もあったんですね。昔はこの近くに神徳院というお寺があり、そこで山伏さんやお坊さまが神社を守られていました。
時代がこういう世の中ですから、神社に身を置いて自分を振り返るようなことが求められているのかな…と、ここに居ると感じますね。
―本当にそうですね。“心が鎮まる場所”という感じで…多くの人が訪れるというのも分かります。
小多田さん:僕の小さい頃は、身近に祖父母がいて両親、叔父・叔母と、家族が皆近くにいるという環境でした。神様に朝晩お水をあげたり、ごはんをあげたりで手を合わせる機会は多かったんですが…今はそういう風習もほとんどなくなりましたからね。
小学生の頃には祖父が狭野の秋まつりに、学校を休ませてでも連れてきてくれていたんですよ。いかにも縁日といった雰囲気で露店が沢山でていたり、四半的(弓矢)を引いたり…いろいろな行事があったのを思い出します。
今はもう無くなりましたが、鮮明に記憶に残っていますね。
じいさんに手を引かれながら歩いた参道や、夜の宴会で酔っぱらったじいさんの姿なんかもね…(笑)
【御田植祭(奴踊り・棒踊り)/毎年5月16日】400年以上の歴史を持つ稲作儀礼。
【苗代田祭(ベブガハホ)/毎年2月18日《宮崎県指定無形民俗文化財》】
全国的にも珍しい農耕神事。境内でユーモラスに舞われます。
【狭野神楽/12月の第1土曜】寒空の中、第二鳥居前で夜を徹して舞われます。
小多田さん:今、地元の人達とも神楽や行事を通じて交流させてもらっていて、本当に高原は素晴らしいと感じます。人が本当にいいですよね。
―様々な参拝者の方が来られると思いますが…印象的なことなどありますか?
小多田さん:いろんな方が来られます。お宮参りでも、未熟児で産まれた子が「やっとお宮参りできるようになりました…」と嬉しそうに来られる方とか、奥さんが意識不明の状態で、病気が治るようにと、毎日のように手を合わせに来られている方もおられます。
手を合わせる、祈りというものにはそれぞれいろんな想いがありますからね。
そういう気配を感じながらそっと見守ることが私たちの役目だと思っています。
神様が施してあげたいご利益を、少しでも授けられるようなお宮だったら…
いいですよね。
小多田さん、ありがとうございました。
【狭野神社】ーさのじんじゃー