カフェ ミネット(mineeeette)

f:id:freelifetakaharu:20220107104347j:plain

皇子原公園、神武の館内の一角に新しくオープンした「カフェミネット」

コーヒーとマフィン、アイシングクッキー等が販売されています。

オーナーである中堂薗歩美さんは、子どもの頃からお菓子やパンを作ることが大好き。いつか自分のカフェをオープンしたいという夢を描いていました。そんなあるとき、人にいただいた桜の塩漬けで「桜のダックワーズ」を作ったことで、夢への扉を開くこととなったのです。

中堂薗さん「いろんな方に“美味しい”と言っていただき嬉しかった。それまでは使う材料などあまり気にせずに、ただお菓子を作れればいいと思っていましたが、地元の生産者の方とコラボして作り上げることに、今までにない楽しさを感じました。それに、自分が結婚してから仕事と家事の両立の大変さを身をもって知ったことで、子育て世代の方々にもほっと一息ついてもらえるようなひとときを届けたいという気持ちもあります」

f:id:freelifetakaharu:20220107104552j:plain

クッキーが仕上がる過程の写真。お店のシンボルマークであるネコの他、 季節感のあるアイテムが揃います。

高原町に自分の行きたいカフェがあったら嬉しいな…”そんな想いが通じたのか、人や場所などの縁が重なっていき、念願のカフェ経営を実現するに至ったのです。

そしてオープン当日には、皇子原公園でのイベントも重なったこともあって沢山の人が並び、マフィンも早々に完売してしまうほどの大盛況!順調なスタートですが、まだまだ修正は必要、やりたいことも沢山あるといいます。

 

中堂薗さん「やってみると想像以上に大変(笑)だけど恵まれた環境でやれることに感謝しています。今後はネット販売を始めたり、季節ごとにメニューに変化を出していきたい。今は土日限定の営業ですが、ゆくゆくは少しずつ平日も開けていきたいなと思っています」

 

店名の由来を聞くと…「ミネット」はフランス語で“子猫ちゃん”という意味。ロゴのスペルに多めに並ぶ“e”は沢山の人に来てもらえたらいいなという願いを込めて。子猫ちゃんのようなお客さんが沢山集まってくれるといいな…と思って!と笑うチャーミングな中堂薗さんの作るアイシングクッキーが、これまた可愛いのです。見るからに丁寧な手仕事が見受けられ、つい誰かにプレゼントしたくなるような気持ちになります。

店頭で常時数種類販売されるというマフィンには、フルーツが使われていたり、ミートソースやカレー仕立てのものもありバリエーションが豊富。コーヒーとの相性もよく、公園でゆっくりお茶を楽しめそうなメニューが揃っているので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

f:id:freelifetakaharu:20220107105027j:plain

中堂園さん、ありがとうございました。




とらすと木工展示販売

f:id:freelifetakaharu:20211126102120j:plain

高原町並木地区の国道沿いに新しくオープンした木工販売の店「とらすと木工展示販売」。オーナーの上山博人さんが、自ら選んだ素材でデザインされた小物や家具類を主体に、陶芸やアクセサリーなども展示されています。

f:id:freelifetakaharu:20211126102235j:plain

自作看板の店看板。お店自体も大工さんと共に造り上げたという力作です!

 

f:id:freelifetakaharu:20211126102323j:plain

木の香りに包まれた心地よい空間に、様々なものがディスプレイされています。

お店へ入ると、空間いっぱいに漂う木々の良い香りにくらくら…。

しばし天然のアロマ空間に癒されます。そして店内を見回すと、

個性豊かな面々が不思議と調和するように並んでいました。

「趣味。好きだからやってるだけ」笑いながらさっぱりと言い放つ上山さんは、元々ものづくりが大好き。定年を迎える頃から様々な道具を揃えつつ、自宅で小物作りから始めます。そのうち徐々に本格的な家具なども作り始め、お店を構える運びとなり、先月10月1日より晴れてオープンとなりました。

“だいたい物はね、角を取るのが好きなのよ” 

そうおっしゃる通り、上山さんが作るものはつい撫ででみたくなるような、どれも優しくて柔らかな雰囲気です。

f:id:freelifetakaharu:20211126102623j:plain

こちらは知人の陶芸家さんの作品たち。エネルギーの宿る何とも素敵な佇まい。

f:id:freelifetakaharu:20211126102746j:plain

ベンチ、棚、椅子、小物置きなどが楽しげに並んでいます。「ほしいものがあればオーダーも受けるよ」とのことです。

f:id:freelifetakaharu:20211126102807j:plain

かわいいこども用椅子。自然素材の良さが生かされてますね。いつもデザインはあらかじめ決めずに、作りながらイメージして形にしていくそう。



f:id:freelifetakaharu:20211126102906j:plain

「日本製のヘラが欲しい」との要望を受け作ったもの。下がヘラ、上はあずき用のヘラ。 あずき用は持ち手を大きめに。作り手の顔が見えて、気の利いたものを作ってもらえるのが嬉しい!

まだオープンして一か月ほどですが、通りがかりに寄ってくれたお客さんから注文を受けたり、お店にお仲間がお茶を飲みにきたりと、人が行き交うにぎやかな雰囲気です。

「だけど正直な話、売れなくていいのよ。一人でやっているから忙しくなるのは困るし、店を眺めているだけでも楽しいからね。一つ売れたらさびしくなる(笑)」

とはいえ、その様子からは充実した楽しそうな毎日が伝わってきます。

“明日生きてる保証はないからね、一生懸命生きて、やりたいことをやりたい”

と言う上山さん。好きだからやっている、という自然でまっすぐな心持ちで作られたものたちには、そのまま良いエネルギーみたいなものが宿っていて、それを手にしたこちらまで嬉しい気持ちになってきます。とても気さくなご主人ですので、ぜひお立ち寄りください。素敵な出会いがあるかもしれませんよ。

f:id:freelifetakaharu:20211126111124j:plain

店内の奥にある工房には、様々な道具がずらり! ここから今後も様々なものが生み出されていくのでしょうね。

 

f:id:freelifetakaharu:20211126103329j:plain



マンゴー農家で修行中!宮崎 隆さん(地域おこし協力隊)

f:id:freelifetakaharu:20211105104657j:plain

今年7月から、高原町広原地区にあるマンゴー農家・原田幸一さん、都美子さんご夫婦の元で農業を学び始めた地域おこし協力隊の宮崎隆さん。

東京から高原町へ移住し、憧れていた農業への道を歩み始めたばかりです。「毎日が楽しくて仕方ない」そんな声を聞きつけて、原田さんのハウスへとお邪魔してきました。

 

f:id:freelifetakaharu:20211105104823j:plain

春になるとミツバチに交配させて花が咲き、実をつけるのは年末あたりから。たわわに実るマンゴーがずらり!

マンゴーが実を付け始めるのは年末辺りから…ということで、現在は青々と葉が生い茂っている木の管理が主な作業。「本当に成長が早くて、葉の色の変化や成長の様子を見ていくことが楽しいですね」と目を輝かせます。その様子からは、新しいことを始めたときのフレッシュな感動やワクワクした気持ちが静かに伝わってきます。

高原町で暮らし始めて3か月。自然環境の豊かさはもちろん、食べ物の美味しさ、子どもたちが「こんにちは!」と気軽にあいさつしてくれること…。些細なこととはいえ、日々感動や驚きが絶えないようです。

f:id:freelifetakaharu:20211105105026j:plain

宮崎さん「土とか汗にまみれて仕事するの、気持ちいいな~!!って。(笑) 田んぼも手伝わせてもらったり、全部一から教えてもらえていて、本当に恵まれていますよね。東京もいいですが、こちらの落ち着いたゆったりした雰囲気が住みやすい。本当に毎日、充実した時間を過ごしています。」

以前は飲食店で朝から晩まで働きずめの日々だった宮崎さん。祖父母が両方農家だったこともあって、幼い頃から農業に対してずっと憧れがあったそう。東日本震災後、更にその気持ちが強くなり、現実的に仕事を探し始めます。最初は北海道、長野…と移住先を検討していましたが、たまたま新聞で目にした小林市の移住広告に惹かれて、3週間のお試し滞在をしに小林市へ。そして最終日に高原町へと足を運んでから…不思議なくらい物事がトントンと進んでいったのです。

宮崎さん「地域おこし協力隊として、原田さんの農家で研修できる環境に恵まれて良かったなと思っています。移住を迷ってる人は、まず動いたらいいと思いますよ。いい出会いがあるかもしれません。」

宮崎さんにとって、高原町への移住は人生の大きな転機となりました。穏やかなお人柄ですが、心の奥では静かな情熱の炎が灯りはじめているようです。念願だった道を歩み始めたご本人に、心から応援と祝福を送りたいと思います。

 

そして、次に案内されたハウスの中へ。…んん?これはアボカドさんではないですか!しかもつやつやで、大きい~!「そう、アボカドも始めてみたのよ」と、にんまりする原田さん。現在5品種育てており、来年から徐々に出荷数を増やしていく見込みだそうです。写真のものは「ピンカートン」という品種。味もそれぞれ違うそうで、興味深々です。希少な国産アボカドの今後の進展が楽しみですね。

f:id:freelifetakaharu:20211105105310j:plain

こんな風に実をつけるんですね~!ぶらりと実を垂れるアボカドの木々。

好きであるからこそ、色んな困難を乗り越えられる

最初は菊農家から始めた原田さん。花の表彰や県での講演会等、数々の経験を積んできましたが、農業をやる上で一番の必要条件は『好きであること』だと言います。全国的に後継者不足・人口減と言われる中で、本当に好きな人がいれば自分の仕事を継いでもらいたい…と考えていた最中に宮崎さんとの縁が巡ってきたのでした。

原田さん「都会はお金は稼げるとしても、その分物価も高いしね。そんな生活の中で…気持ちやね。心のゆとりというのがないよね。その点、こっちは金はなくても食えるよと(笑)オーバーに言えばそういう仕組みがある。近所付き合いができたら「大根できたよ」とかさ。最初彼に会ったときに、そういう話はしていたね。あとは人生を楽しんでいないと、いい仕事もできない。自分の場合は趣味のバイクを楽しむことが、仕事の質にもつながってくる。それが実感として分かっているから、彼にも人生の楽しみを見つけてもらいたいと思っているよ。」

f:id:freelifetakaharu:20211105105610j:plain

ふるさと納税にて今年収穫できた分を個数限定で出品しました。 金額やパッケージの仕方等を担当者と決める打ち合わせ風景。

優しい笑顔が素敵な原田さん。休日にバイク仲間とツーリングを楽しむ等、充実した毎日を過ごされていることが、若々しさに磨きをかけているようです。宮崎さんも、温かく迎え入れてくれた原田さんご夫婦のことを、両親のように感じていると言います。

縁って本当に不思議ですね。それに、作物を育てる人自身が生き生きとした心で触れるからこそ、元気な作物が育つのだろうなぁ…。原田さん達の笑顔や、ピカピカのアボカドを見て、ふとそんなことを思うのでした。

 

f:id:freelifetakaharu:20211105105718j:plain

 

えがおリレーvo.14 原田優太郎さん

f:id:freelifetakaharu:20210916093645j:plain

 
たかはるで日々暮らしをいとなむ人々。
その人生やありのままの姿をリレー形式で伝えていきます。
今回は第14回目、原田 優太郎さんです。
 

f:id:freelifetakaharu:20210916093834j:plain


高原町で生まれ育ち、福岡の専門学校・整骨院で経験を積んだあと、地元に戻り整骨院を開業されました。学生の頃から“枠に収まりたくない”という気持ちが強かったという原田さん。開業後もアメリカの大学へ実習を受けに行ったり等、日々精力的にお仕事されています。

f:id:freelifetakaharu:20210916094456j:plain

はらだ整骨院は現在、原田さんご本人と、もう一人の先生、他数名のスタッフで稼働中。交通事故・スポーツのけが、ぎっくり腰などの他、手をふっと上げたときに痛め、それからずっと違和感や痛みが続き通われている方なども多いとか…。
そして一日の患者数は平均100人!
そんな分刻みのスケジュールの中、原田さんが感じるのは「満足がない」ということ。
 

f:id:freelifetakaharu:20210916094957j:plain

 

原田さん:「この仕事をしていて、“治ったこと”は後に残らないんですね。“治せないこと”の方がずっと残るし、次は何とかしないとっていう責任感がある。満足感が毎回あるわけではないから、終わりがないというか…。一日ずっと患者さんが来院されているので、治ったとしても、喜んでいる時間、余裕がないんでしょうね。やってる以上はこれの繰り返しなのかな、と思っています。」

嫌になったりしませんか?と聞くと、「それはないです。自分でも何で嫌になってないのかわからないけど(笑)」とのお答え。ひたむきに毎日の診察をこなされる様子から、その忍耐力もさることながら、天職に励んでおられるのだろうな…と感じます。

 

f:id:freelifetakaharu:20210916095630j:plain

次々と訪れる患者さんと、場を和ませるように会話しながら施術されていました。

 

そんな多忙な毎日の中、休日には趣味のキャンプを楽しむこともあるようで「高原町は人が少ないので、密にならないところが良いですよね(笑)」と、こんな状況下だからこその魅力を明るく語ってくれました。
町の商工会青年部に所属しており、夏の花火打ち上げに対しても意欲的。
今年は延期になっている夏まつりですが…花火の打ち上げ、叶うといいですね!

 

f:id:freelifetakaharu:20210916095851j:plain

原田さん、ありがとうございました。

 



 



おてらんば展望台

f:id:freelifetakaharu:20210827094137j:plain

 「どう?この景色。私はおてらんばマチュピチュと呼んでるんです」
と嬉しそうに微笑むのは、展望台の発案者である小久保幸一さん。役場職員を退職後、観光協会勤務等を経験し65歳から鹿児山地区の区長を務めています。

高原町を鼓舞するようなことがしたい!”と「感動・歓声・感嘆」をキーワードに、アジサイロード作り、地区の高齢者見守りとしての黄色い旗活動等、最近では景勝地を生かした「おてらんば展望台」を立ち上げました。

 

f:id:freelifetakaharu:20210827094310j:plain

 
梅雨気分を優しく彩る アジサイロード

野尻方面から町内へ続く道沿いに植え付けられた紫陽花群。
運転の傍ら、しとやかなその姿がふわっと目に入ると、梅雨の鬱々とした心も優しく和んできます。これらは全て4年前に美郷町から貰い受けた枝を挿し穂した賜物。1300本から始まり、その後も毎年挿し穂を続けて現在は2000本。最初は数名程度だった協力者も、花が増えるとともに今年の草刈作業では55名もの方が集まりました。「人に何かを強制したところでうまくいかない。皆の心が変わってきたんです。そういうプロセスを大切にしたい」と話す小久保さん。
県の土木事務所が毎年8月に行う草刈りも、今年は6月に時期を早めてくれた。紫陽花がきれいだから…と配慮してくれたのかもしれない、と目を細めます。地元住民の方々の心で彩られたアジサイロード、また来年どんな姿を見せてくれるのか楽しみですね。

 

f:id:freelifetakaharu:20210827094717j:plain

展望台で景色を眺める小久保さん。「うちの嫁さんは、“もうこれ以上何もしないで”と女性独特の感性で言うんですねぇ」

 

おてらんば展望台
 
岩瀬川を眼下に一望できる高台にある「おてらんば展望台」は、高原町野尻町を結ぶ梅ヶ久保街道として賑わった場所にあります。当時、旅人が休憩してお茶を飲んだと言われている「御茶屋場」(おちゃやんば)という地名から名付けられました。

小久保さんの幼少期にはまだ見晴らしよくみえていたこの景色も、最近では山の斜面の樹木が大きくなるにつれ見えなくなってしまい…そんな記憶と共に薄れかけていたこの場所と再び向き合うきっかけとなったのが、一枚の古い写真でした。去年8月に20年前のおてらんばの写真を偶然目にする機会があったのです。

 
小久保さん「その写真を見て、こういう景観を見られないのはもったいない!と、すぐ土地の所有者に了承を得て翌9月から斜面を切り開き始めました。そうして行動していると、樹を切る人や整地する人‥地元の方々がほとんど無償に近い状態で協力してくれたんです。」

その後、町からの補助を受けて桜やハナミズキ等を植樹。展望台の情報を知った高原町内外の方々から紫陽花等の寄付があったり等、どんどん彩りを重ねていくおてらんば展望台。美しい景色をゆったりと眺めて愛でる…自然豊かな町ならではの贅沢なひとときではないでしょうか。

 

f:id:freelifetakaharu:20210827095223j:plain

駐車場から降りて奥に進むと、景色を一望できる休憩所があります。植樹された樹々の成長とともに展望台の進展が楽しみですね。

 

0から1へのエネルギー 
 
このような活動を続ける小久保さんが感じるのは「人のつながり」の不思議。自分が動き始めて、最初は外から眺めるだけだった人達がそのうち仲間に加わり、どんどん人の輪が広がり形になっていく。
 

小久保さん養老孟司さんのベストセラー「バカの壁」の文章にこんな言葉があったんです。“物事を起こす時は、0から1へのエネルギーが一番必要”と。
人から何を言われようが何とかスタートして、0が1になった時。そこからは2、3、4‥とその後の後押し、玉転がしのように皆で力を合わせて‥あとはもう速いんですよね。
そして僕は他人に強制は100%しないし、他がやっているからやる、ということも無い。ただ地域にある特性を再構築したりして引き出していけばいいわけですから。一石を投じた輪立ちの原点が鹿児山地区になればいいなと思っているわけです。」

 

f:id:freelifetakaharu:20210827095448j:plain

玄関先に毎日旗を掲げることで安否を確認する「黄色い旗」の活動は、高齢者の「無縁」「孤立」を防ぐため。誰もが気軽に声を掛け合い、そっと見守り、必要な時は助け合う地域づくりを目指している。

 

高原町を盛り上げたい”その一心で行動されている様子を見て、その原動力を聞いてみると「なんで、悩むことがあろうか~!そのうちに…と言ってると、延々と引きのばして、そのうちに墓標が立つ。というんですよ」と笑います。
「あぁ、、そうですよねぇ」と“そのうち”を日々乱用しているような私…撃沈でしたが(泣)本当にそう、何もせずただやり過ごすより、行動して失敗でもした方がまだ得るものがあるんですよね。小久保さんの瞬発力を見習って、いつでも行動できるように心を整えていこう…!と思うのでした。

 

 

〜移住後の生活〜狩猟は自然への入口

“自然豊かな場所で暮らしたい、けれど生活をどうしていこうか…” 


移住をお考えの方は年々増えているようですが、実際には明確な目的やキッカケがない限り、中々行動に踏み出せない部分もあると思います。移住相談会などでは各自治体が魅力をアピールしますが、本当に全国各地それぞれの良さがありますし、漠然と迷いだすとキリがない気もしますよね。

今回ご紹介する西田さんは、なんと移住先に一歩も足を踏み入れず、ポーンと高原町へ移住してきたという稀有なお方。6年前に高原町出身のご主人と一緒に、関東から移住してきました。
元々自然に対する想いがあったようですが、ふいにご主人から「地元に空き家がある」との話を受け、ピンときて移住を即決。それから2週間ですべてを片付け(!)高原町での生活をスタートさせます。

 

f:id:freelifetakaharu:20210727140308j:plain

 

最初は草ぼうぼうだったという家を住みやすく改修することから始まり、期待に胸膨らませていましたが…「はじめの3年間は理想と現実のギャップが凄くて泣きながら暮らした」といいます。そんなネガティブな時期を変えるキッカケとなったのはニワトリ、そして狩猟…!?
移住について、現在の暮らしのことなどを中心にお話を伺いました。(実は彼女とは保育園のママ友。文章に親和的な印象を持たれるかもしれませんが、彼女の魅力が伝われば幸いです。)


西田さん:小さなころから「自然の中で、もっと自由に遊べたらいいのにな」という想いや世の中に対するちょっとした違和感みたいなものがあったの。
当時よく遊んだプレーパークでは木登りOK、穴ほりOKって感じだったんだけど、その場から外へ出た瞬間にそれらが禁止される、そういうことを子供ながらに「何でだろう?」って。“登っちゃいけません”の場所が、私は登りたいところだったから。

関東で暮らしていたときは、とにかく自分の世界を狭く感じていて、もうちょっと自然の多い場所、東京みたいに人が溢れていない場所で、自分らしいベストな生き方ができるんじゃないかなとしみじみ感じていた。
そんなとき、夫(当時はまだ未婚)の地元である高原に空家があるよっていう話にピンときて。「どんなとこなの?」「うーん…、今草ぼうぼうだと思うよ」「めちゃくちゃ良いじゃん!」…それから2週間後、高原に来た(笑)
けど本当に住める状態じゃない家で、それを直しながら暮らし始めたのが、ほんとに高原生活のスタートだった。

 

そんな風に前進し始めた西田さんですが、そこから4年目位までは悶々と揺れる日々が続きます。東京に帰ることはほとんど無かったそうですが、「自分の考えがいかに浅はかだったかがすごく分かった時期だった。明確なイメージがなくて、本能的に動いちゃったからね。」と振り返ります。

 

西田さん:そのうち郵便局の何かで、花の種をもらったの。興味なかったんだけど、とりあえず撒いてみよ~ってパラパラしたら、時期がよかったのか、ちゃんと芽が出たのよね。
「芽ぇ、めっちゃ出た!!」と思って、座ってぽけーと見ていたら、本当に軽―く、ふわぁっと地面から出てきていて。“あぁ、でも根を張るって案外難しいことではないのかな”って、ふと思えたのよね。

今まで、ああだこうだと不満ばかり抱えていたけれど、このままだと私は一生この土地を好きになれないし、自分からは何も生み出せないだろう。じゃあ私のやりたいことは?何のためにここに来たんだろう?って考えて。そうしたら…やっぱり子供がもうちょっと、のびのびと過ごせるのがベストなんじゃないかと思い始めた。

f:id:freelifetakaharu:20210727141201j:plain

自宅周辺は自由な遊び場!最近はヤギやウサギも仲間入り。

それから、めんどり家(※鶏料理・卵専門のお店)のおじちゃんに、「お前はたぶん都会に慣れすぎてるから、固定観念が外れない限り無理だと思う。とりあえず鶏を飼って、毎日観察してみなさい」って言われたの。なんでもいいからノートに書いとくといいって。それからとりあえずノートに書くようになった。しょうもないこと…「今日は鶏が○○してました」をただ書いてたんだけどね(笑)

 

f:id:freelifetakaharu:20210727141401j:plain

敷地内で平飼いされている鶏達。土を踏みしめ虫をついばみ、見るからに健康的!

そのうち鶏が増えてきて、「増えたオスは食べればいいんだよ。循環させればいいんじゃないの?」っておじちゃんに言われて、鶏をさばくようになった。
そうしたら今度はスーパーの価値について改めて考えるようになった。ハウス栽培の野菜にしても「今の時期にこの野菜があるのは、どういうこと?」とかね。それまではお金で買うのが当たり前の生活だったけど、それらのものって自然のものですら無いんだ…ってことを、改めて思い知らされたりして。

テレビとか、外からの情報が強いと“実際に自分の目で見てやる”っていうことが凄く少なくなるなって思ったのよ。それまで周りからの情報があまりに多すぎて、気づけなかったんだよね。お金を出して物を買うこと=生きる術、だったからね。

 

f:id:freelifetakaharu:20210727141605j:plain

 

自分の生き方を模索するように、日々試行錯誤しながら、着々と行動してきた西田さん。“鶏の生きる姿を観察する”そこから自然界へ心が開かれていったように感じます。そして最近は狩猟免許を取り、師匠と山へ入り、鹿や猪をさばくまでになった彼女。自分の手で動物を殺め、その命をいただく。自分ではまだ想像することでいっぱいになるような領域ですが、狩猟するきっかけ・動機を聞いてみました。


西田さん:きっかけは、役場の階段に貼ってあった狩猟免許のポスターかな。私自身、自然にかかわる物事には大半興味があって、それらを一通りみておきたい気持ちがあった。それに狩猟を始めたら、生活が循環していくようなイメージが湧いたのよね。
鶏のさばき方を教えてもらって、卵も自分で採れるようになって。スーパーに並んでいる肉がどういう状態で育てられて、何を食べているのか。“国産だから良い”とかの、商品ラベルの情報だけで選ぶことに対して徐々に違和感が出てきた。自分で育てて食べる…という一通りのことをしてみたら、不確かなものを買って食べるということがすんなり出来なくなってきてしまったのよね。

f:id:freelifetakaharu:20210727141745j:plain

箱罠を仕掛ける。周辺には猪が鼻で草をしならせた円状の跡があった。

f:id:freelifetakaharu:20210727141853j:plain

国有林へ入ると、時々獣道なるものが見つかる。動物の動きを読みながら罠を仕掛ける。

f:id:freelifetakaharu:20210727142124j:plain

見定めた場所に穴を掘り、罠を仕掛け、辺りの土をかぶせて完成。敏感な動物達はわずかな匂いも嗅ぎ分けるため慎重に作業を行う。

西田さん:たぶん自分にとって、狩猟することの主な目的はお肉ではなくて、(自然への)入口なんだよね。今まで外からみてきた自然だけど、狩猟を通して嫌でも山に入るでしょ。
虫とかヘビは凄く嫌いだし(笑)ドキドキしながら山中へ入ってるんだけど、それで手つかずの自然から得られるものがある。今まで簡単に入れなかった山中に、ちゃんと許可を取って入らせてもらえるし…いろんな意味で“入口”かなと感じてる。
今は植物に対しても興味が湧いてきていて、狩猟は生活の一部としてとらえてる。自然からもらえるものは、もらって暮らしていきたい。そうしていきながら、将来は自分の手元にあるものだけで生きていくのが目標。最初高原に来た時はなかった目標が、今はあるのがうれしい。ここからだと思ってる。

 

f:id:freelifetakaharu:20210727142614j:plain

西田さん、ありがとうございました。

 

エネルギッシュでさばさばとした性格の彼女。色んなことに興味を持って、無理なく向き合う姿にこちらまで元気をもらいます。何をするでもなく家の外で焚火したり、自然の中で遊びまわる子ども達を眺めながら「こういう時間が本当にしあわせだよね~」としみじみ話していると、あっという間に日が暮れていく。こういう感覚はお金に代えがたい、贅沢な時間だと感じます。そして移住後、少しずつ自然と調和した生活を送れていることに、じわじわと感謝の気持ちが湧いてくるのです。

“直感で行動して、どうするかはその後の風向き次第。なるようになる!” 
“問題が起きたとき、そこで悩んで学ぶことがあれば、それはそれでいいんじゃない?”
彼女の姿からはそんな心意気を感じます。もちろん、行動を起こす前にいろいろ悩んで決めるのも安心ですが、思い切って動いてみるのも刺激的で楽しいかもしれない…!物事が連鎖していき、どんどん目の前の世界が広がっていく彼女の様子を見てそう感じるのでした。

リハビリケアセンター音いろ

f:id:freelifetakaharu:20210617104417j:plain

 

広原小学校の近くにある「リハビリケアセンター音いろ」は、身体が思うように動かない方々が安定した生活を送れるように支援するデイサービス施設です。
道沿いに建てられた新しい施設を見て、どういった場所なのか気になった方もいるのではないでしょうか。
施設長の末山さんは、理学療法士として宮崎市内の病院でリハビリの仕事や訪問サービスなどの経験を積み、“生まれ育った場所に恩返ししたい”との想いから、去年の2月に地元の高原町でリハビリケアセンターを開業しました。

 

f:id:freelifetakaharu:20210617104538j:plain

 

―この仕事を選んだきっかけ、内容について教えてもらえますか?

末山さん:元々親戚がリハビリの仕事をやっていたので、自然と興味を持って入りました。基本的には医療的な勉強全般をしていきながら、病気になった人がどういう方法で普通の生活にもどれるか…というところを診ていく流れになります。

体に触れて、こういう所を強くしていきましょう、体を柔らかくして、動きやすくして…とか。痛いところがあれば痛みを軽くするような動きを指導したりしています。
加えて今は、年齢とともに落ちていく体力を維持するために運動しましょう、
という予防リハビリもやっていっているところです。
病気じゃなくても体力は落ちていくし、部屋にこもりがちになる前に、こういう場所に来ていただくことで、その他の認知症なども含めトータルにみていくことをやっています。

 

f:id:freelifetakaharu:20210617104712j:plain

f:id:freelifetakaharu:20210617104730j:plain

折り紙を折ったり、機械でトレーニング等…施設内にはリラックスした雰囲気が漂います。

 

施設自体は介護保険が使えるので、基本的には40歳以上の方が対象になりますが、リハビリに関しては、0歳~100歳超えまで年齢問わずにやれることです。自分の経験でも、生後3か月からリハビリを始めた人もいます。

―生まれてすぐの方の症状はどういったものだったのでしょうか?

末山さん:生まれてすぐの場合は、具体的にどこが悪いとか、判断が難しい場合が多いのですが、脳や心臓の障害があることで、体が硬くなって動かせないことが一番多いです。
なので直接さわって、動かしてあげます。年配の方に関しては、できないことが増えてくる感じになるので、動かせるところは動かしてもらい、できない部分をアシストする。なるべく自分でできることはやっていきましょう、という指導になります。

 
―現在は、どういった方々が主に利用されていますか?

末山さん:うちに来ている方々は、60歳前後~80歳前後の方が多いですね。
やることは個人それぞれのメニューで変わってくるのですが、いちばんは体を動かすこと、その次は脳のトレーニング、計算問題をしたり言葉の勉強をしています。
なるべく身体の機能が落ちないように予防すること、落ちてきたところは持ち上げる…という感じでしょうか。
 
ずっと在宅をまわっていた時に感じたのが、やっぱり病院生活は嫌だという方が多いことでした。できる限り家で生活できるように、手助けになるようなことができれば…と思っています。こういう所に来て、身体と頭を使って、自分でできることはやりながら、楽しく生活していきましょうということです。
 
―こういう場所にきたら、一人でやるよりも楽しく続けられそうですね。
 
末山さん:ですね。遊び感覚で、頑張りすぎないことが大切だと思っています。
楽しくないと続かないし、ね。長生きするために頑張るっていうのも…もう皆さん頑張ってきているんですから。やれやれって言われてやるのは、自分でも嫌だしね。
本当に楽な気持ちで、楽しく、長生きをしましょう。というシンプルな想いです。

 

f:id:freelifetakaharu:20210617105202j:plain

末山さん、ありがとうございました。