えがおリレーvo.5 脇田 順子さん

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たかはるで日々暮らしをいとなむ人々。
その人生やありのままの姿をリレー形式で伝えていきます。
今回は第5回目、脇田 順子 さんです。
高原町出身の脇田さんは、後川内地区で「東雲太鼓」を小・中学生に教えています。一言で太鼓といっても多様なもの…
まずは「東雲太鼓」についてお聞きしました。
 

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脇田さん:東雲太鼓の立上げは“後川内地区で伝統的なものをやろう”ということで始まったのがきっかけです。最初は後川内学校の中学生から始め、そこから地域の太鼓としてスタートし、一時期は60人位いましたね。そこから上の年齢の方から少しずつ辞めていってしまっているんだけど…今は11人でやっています。最初から結構女性が多かったですね。
 
―そうなんですね!女性が元気なのはいいことですよね。
東雲太鼓の由来は何でしょうか?
 
脇田さん:「東雲太鼓」という名前は地区全体で決めました。
東雲は「あけがた」「あかつき」などの意味のほか、「明け方に、東の空にたなびく雲」をさすそうです。後川内地区が高原町の東側にあるということや、地域全体で取り組んでいくということが、後川内の伝統文化の夜明けであることを願う…という意味で名付けられました。
 

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中学校での練習風景。和気あいあいとした雰囲気ですが、太鼓を合わせる時は皆真剣…!

 

―太鼓の魅力を聞かせてください。
 
脇田さん:もう…「カッコいいな~!!!」ていう(笑)
最初お祭りで神武太鼓(高原の太鼓)を見た時に「素敵!これやりたい~!」と思って即応募して、そこから神武太鼓で習い始めたんです。
もう、打ちたい!!ていう気持ちだけですよね。
 
―最初の感動からもう、好きな気持ち一筋で続けてこられたんですね。
 
脇田さん:そうですね。最初はリズム感など難しかったのですが、諦めずにやり続けてきました。途中PTAだの何だので忙しくなって遠ざかってしまった時期もありましたが、後川内地区での東雲太鼓をキッカケにまた始めることになったんです。
けれどよっぽど好きで、楽しいから頑張ろう!って気持ちがないと続かないですよね。今も人数が少ないので募集しているところなんです。
太鼓には種類があり、それぞれの音の役割もあるので、誰かが来なかったりするともう出来ないんですよね…イベントにも出ることもできない。
けれど今は若い人も入ってきて頑張っていますよ。
誰か入る人いないかな~?て皆にも探してもらっているところです。
私もいつまで太鼓を打つことができるかな…ていうのはあるんですけどね。
 

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東雲太鼓の仲間達。主に夏祭りや敬老会などのイベントで太鼓を披露しています。

 
―いやいや、それだけ若々しいのも太鼓をたたき続けているからこそなのかもしれませんよね。
 
脇田さん:学校に来てこども達に教えたりもしているので、そのおかげもあるでしょうかね。太鼓を打つのはさすがに…ずっとは無理でしょうけどね。
だけど東雲太鼓には誰かがずっといてやらないといかんよな、とは思っています。
ゆくゆくは後ろから見ているような感じで見守っていきたい。
荷物持ちでもしてやらんといかんだろうしね(笑)
 

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脇田さん、ありがとうございました。

 

まさに「好きこそものの上手なれ」ですね。とってもイキイキとしていらっしゃる脇田さん。中学生に太鼓を教える姿も貫禄十分です。
そして音楽室を閉め切った状態で、何台もの太鼓を並べての音は圧倒的…!
私も今回、初めて太鼓を叩く音をこんなに近距離で感じましたが、身体中にビリビリと響きわたる音の振動にぞわぞわ~!心臓に直接響いてくる太鼓の低音が、爆音なのに不思議と心地よくて、なんだかクセになるような感じ。どっぷりと魅力にハマる人の気持ちが少し分かったような気がしたのでした。 

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脇田さんにたかはるの魅力を聞くと「みんな人間がいい。やっぱり人だと思います」と即答!地域に人が増えてくれるとうれしい、子どもがいると活気もでるしね…とにこやかに笑います。
地域のつながりがしっかりとある、後川内地区ならではの“東雲太鼓”という伝統。本当にずっと続いていくといいですね。
 
次回は脇田さんのご実家である衣料品店の、手芸の得意な奥様です。
どうぞお楽しみに…!
 
 
 

後川内中学校

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高原町後川内地区にある後川内中学校。
教育目標は「学力の向上を目指し ふるさとを愛する
心身ともに健康で たくましい児童生徒の育成
 
後川内地区では、保育所・小学校・中学校がまとまって隣接しており
小中一貫教育という形で地域と共にある学びの場となっています。
 

■ 校内の様子

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■ 教室の様子

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■パソコン室/音楽室

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■図書室

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太平洋戦争の時に沖縄から疎開して来られた“安村さん”という方とのご縁があり、
頂いた寄付で本を購入し【安村文庫】としてコーナーが設置されています。
毎年修学旅行は平和学習も兼ねて沖縄へ行くなど…安村さんとの交流は現在も続いているそうです。
 
■その他の活動など
 
◎後川内地区に伝わる「東雲太鼓」を総合学習として、地域の人に教えてもらっています。イベントなどで太鼓を披露することもあります。

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◎今年1月に、全校生徒でのダンス授業が行われました。外部から「んまつーポス」の6名の方をお招きして創作ダンスを考え、最後は先生方まで参加しての全員ダンス動画を作成しました。

 

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どんなダンスにしよう…指導を受けながら皆で練習です!

 

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いざ撮影!とっても素敵なダンス動画が完成しました。
 
 
その他…学校の詳細についてはこちらをご覧ください。
 
高原町立 後川内中学校
所在地:〒889-4413
宮崎県西諸県郡高原町大字後川内2651番地
電話:(0984)42-1083
 

 

 

極楽温泉 匠の宿

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高原町湯之元地区にある【極楽温泉 匠の宿】は昭和51年から温泉旅館として始まりました。高千穂峰の望める田園風景の中にあり、木製の水車が構えられた門などをはじめ、全体に漂う古民家風の佇まいに心が和みます。温泉は“にごり湯百選”に選ばれており、町内外から多くの方が訪れています。

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浴場の様子

 

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源泉の炭酸鉄泉。冷泉(18.5℃)なので内湯やサウナと交互に入浴するのがオススメ。

 

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20トンもの大岩をくりぬいた珍しい《一彫石風呂》

 

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露天風呂
 
元々は湯治湯から始まった極楽温泉。山岳信仰の流れで、登山や参拝される方などが長期滞在し、温泉に入って養生していたそうです。
 

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受付ロビー

 

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長い廊下に沿って各部屋があります。

 

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124畳和室「かんな」

 

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お食事は厳選した食材を使った山河料理をお楽しみいただけます。(※平日ランチメニューもあります)

 

宿主の竹井さんは幼少の頃から高原町の自然に親しんできたといいます。
「霧島の自然や静けさを感じて頂ければ、ありがたいなぁと思います」と話される通り…館内には静かで落ち着く雰囲気が漂っていて、心身ともに癒されるようでした。
 

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極楽温泉 匠の宿
 
泉質:含炭酸鉄泉
効能:神経痛・筋肉痛・疲労回復など
お風呂:源泉風呂・一刻石風呂・露天風呂・サウナ・水風呂
入泉料金:大人400円 小人200円
※入浴・休憩・宿泊・食事可能
 
 

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霧島東神社

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霧島東神社は霧島山の麓、御池を望むことのできる高台にあります。
伊邪那岐尊(イザナギノミコト)伊邪那美尊(イザナミノミコト)主祭神として祀り、第十代崇神天皇の代に霧島山を信仰の対象とする社として創建されたと言われています。そして高千穂峰の山頂にある《天の逆鉾》が神社の社宝として祀られています。
 
鳥居をくぐりご本殿へと続く石段の参道を上がるごとに
森のしっとりした気配に包まれ、心が鎮まっていくのを感じます。
今回は霧島東神社の宮司である、黒木さんにお話しを伺いました。

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―神社のことについて、お話を聞かせて下さい。
 
黒木さん:昔、神社が出来る前の日本人の中で、人間がどうこうすることのできない存在を神としていました。いわゆる自然、山・太陽・月・滝…。災害も含めて人間よりエネルギーの優るもの、人間が敵わない存在のことです。霧島山もそうですし、平家物語のくだりで「煙絶やさぬ岳」と表現されている新燃岳も、昔はどんどん噴火していました。
それを麓の住民は「あれは神様がお怒りなんだ」と恐れたり、田んぼの水も山から流れてくるものだからと感謝していたわけです。そういう時、皆がそれぞれの場所で手を合わせて祈っていたのですが、やっぱり拝む場所が欲しいよね、家建ててここで拝もうか…というのが大体山の麓にある神社の大元の起源なんですよね。
 
―拝むという行為がまず先にあって、その対象として後に神社が建てられたのですね。
 
黒木さん:そう、場所ができたんです。霧島山も“この山は私たちの神様だ…”と各方向からバラバラに拝んでいたのですが、平安時代に京都から(しょう)(くう)上人(しょうにん)というお坊さんが霧島山へ修行に来て、当時6箇所ほどあった各神社の横にお寺を造り【霧島山というのは、神様と仏様を一緒に祀る修行の山ですよ】という風に整えていったそうです。
その性空さんが神社に(しゃく)杖院(じょういんというお寺を建て、神仏習合の山として始まり修験道が入ってきて、霧島修験と呼ばれる山となったのです。
 

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本殿の奥には修験道へと入る入口が構えられています。

 

宮司という役職ができたのも、明治時代以降からです。
それまでは山伏さん達が神社を守っていました。その間御鉢の噴火で神社・お寺が焼けてしまい、何も無かった時期もあるんですが、また建て直し…。性空さんが入り、霧島修験というのが出来て、明治の廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)という運動が起こるまではずっと続いてきていたということです。
ここの名称も明治までは《霧島六社権現 東御在所之宮》という神社でしたが、権現という言葉も駄目だということになり《霧島東神社》となったわけです。
 
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お寺さんも仏像も無くなりましたが、今でも「霧島山は、神様と仏様の山なんだってね」といわれ、そういう信仰でお参りに来られる方も多いです。
今でこそ神社には観光客なども含め沢山の人が来られますが、僕が子供の頃は参拝者も少なく、たまに見かけると「この人なんか怖いな、異様だな…」と感じるほど一生懸命に拝んでいました。どっちがいい・悪いはないんですが、大切な部分が希薄になるのはどうなんだろう…とは思います。
 
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―難しいですよね。神社は変わっていないわけで、世の中が変わっているだけですもんね。
 
黒木さん:そうですね。今の時代、ネットとかで複雑に絡まってはいるんだけれども、でも何となくさみしい…ですよね。知り合いは沢山いても人間関係は希薄になっていって、身近にたわいもない話や相談のできる人もいなかったりする。自分の心を自分で整理しなきゃならないとなれば、こういう場所はいいのかもしれません。
 
最近はパワースポットとかスピリチュアルだとかで、全国的にも若い参拝者の方々が増えています。そういう方達とふと神社のことなどを話す機会があるんですが、何というか…素直に理解するんですよね。否定しない、ポジティブな反応をするんです。
話して分かるかな…?ということが意外と相手にヒットしていたりして。あぁ、こういうことを求めていたのね、と分かるんです。来るきっかけはパワースポットだとしても、帰るころには「神主さん、神社ってなんかいいですね」っていう人がいたりするのは、それまでとは何か違うものを見出したってこと。それはどこかで求めているということですから。今から変わってくると思いますよ。
 

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よく“ここの神社はどんなご利益があるの?”と聞かれます。
 
色々な神社があるので、そういう風に考えるのは悪くないんですけど、ここの神社は山伏さん達が修行をしていた場所で、元々頻繁に参拝者がきていたわけではないんです。
なのでここに来た方は、難しい祝詞や作法はいいから神様の前で手を合わせて、心と頭がごちゃごちゃしていることも全部、神様の前で打ち明けて片づけていってもらいたい。引き出しじゃないですが、きれいに片づけたらスペースが出来るように、心にね。そこに神様からもらえるんじゃないですか…という話もたまにします。ここがそういう神社であったら、うれしいなと思います。
 

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黒木さん、ありがとうございました。

 

【霧島東神社】
889-4414 宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田6437
 

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高原中学校

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高原町中心部にある高原町立高原中学校は、広い敷地内にゆったりと構えられており、板張りで統一された校舎内など…温かみのある広々とした環境が特長です。
学校教訓は「礼始礼終 切磋琢磨 誠心誠意
礼を重んじる校風があり、毎朝生徒たちは校門の前で一礼し、門をくぐります。
 

■校舎の様子

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■教室の様子

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■家庭科室/理科室

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■礼法室/パソコン室

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■図書室

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 ※高原町民は町内の小中学校全ての図書室において本を借りることができます。

 

■3F廊下/プール

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■その他の活動など…

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 高原中学校には体育館の他、武道館もあります。生徒たちは部活動を通して
スポーツ・武道に励み、県内外の大会での活躍を見せています。
 
その他…学校の詳細についてはこちらをご覧ください。
 
 
高原町立 高原中学校
所在地:〒889-4412 宮崎県西諸県郡高原町大字西麓709番地144
TEL(0984)42-1057
 

新燃岳を考える日

新燃岳が本格的な噴火を起こしてから約8年経ちました。
去年再び噴火しましたが、現在は火山活動が低下したとして、噴火警戒レベル2(火口周辺規制)からレベル1(活火山であることに留意)へ引き下げられている状況です。
 
高原町では噴火後の平成25年から毎年1月26日を「新燃岳を考える日」とし、小中学校での避難訓練などを行っています。今年も例年通り行われた訓練。去年特に降灰の影響を受けた狭野地区にある狭野小学校での訓練の様子をお伝えします。
 

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「すみやかに避難して下さい」体育館への避難を促す放送が流れ、児童はヘルメットを被り
各自体育館へ移動します。
 

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体育館で整列・確認。ここで状況に応じての指示があります。
今回は迎えに来た保護者の車へ順に乗せ帰宅…という流れでした。
 

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職員同士で連携しながら、手際よく車を誘導して児童を乗せていきます。

 

◎町内の学校にて「新燃給食」も出されます。地元の野菜や噴火で影響を受けた食材を使用し、地産地消の意味を込めて用意されたメニューです。

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狭野小学校での給食風景(一年生クラス)献立は麦ごはん・すき焼き煮・もやしのマリネ。

 

◎噴火当時の子供達や住民の体験・生の声をまとめた記録集「新燃岳の噴火 百人の記録集」が、町内全学校で行われる防災授業の教材として毎年活用されています。

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小学生の作文から町民の声、噴火の記録などが冊子にまとめられています。
灰の掃除の様子から、助け合いや協力することの大切さ、援助物資や人への感謝、“それでも山が大すきです”という小学生の素直な作文が載っていたり…。読むだけでも様々な事に気付かされます。

※内容は以下のURLからご覧になれます。

新燃岳噴火 百人の記録 | 高原町

 
 
◎そして今年は新燃岳を考える日のシンポジウムとして
霧島山を読み解くー次の噴火に備えてー】と題し講演会も開催されました。

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狭野小体育館にて、噴火の研究者である鹿児島大学井村准教授による講演が行われました。
「むやみに恐れるのではなく、適切な行動を取っていれば命を取られることはありません」
噴火についての専門的な話から具体的な避難時の注意点など…来場者に向けて真剣に語られました。
 
 
 
噴火当初、ドドドド…という激しい地鳴りと共に、山頂が赤く輝く様子が見えたそうです。それを身をもって体験した住民の方々は、大変な恐怖を感じたのではないでしょうか。
しかし降灰も落ち着き、日々の生活に馴染むうちに過去の記憶は薄れていってしまいます。それを危惧し、年に一度は噴火について真剣に考えよう、家族で話し合いましょうということで設けられた「新燃岳を考える日」
それは町民にとっても大切な時間です。
 
“身の危険を感じたら、警報などを待たずに即避難すること。情報に頼らずに、自分の目で見て察することが大事です”と井村教授は伝えられました。
これまでの噴火も乗り越え暮らし続けてきた高原町民。その山々が日頃もたらしてくれている恩恵は計り知れません。自然に恵まれたこの土地で暮らす以上、その自然と上手に付き合っていきながら、日々豊かに暮らしていきたいものですね。
 
新燃岳の噴火について、広報たかはるH30.12月号でも特集しています。
 

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広原小学校

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広原地区にある高原町広原小学校。
学校の教育目標は「かしこく 心豊かで たくましく生きる児童の育成
地域との交流や連携に力を入れ、外に開かれた学校づくりをめざしています。
 
 
■校内の様子

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■教室の様子

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■理科室/音楽室

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■図書室

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学校の教育活動として、子ども達が米作りをしています。

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収穫した「ひろっこ米」を販売しに、児童たちが役場へ来てくれました。
そしてあっという間に完売お見事です!

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 広原小学校では、今年から「広っ子育成協議会」をスタートさせました。
コミュニティスクールを念頭においた、学校と地域が一緒になって子ども達を育てていこうという取組です。地域と連携して行事をやっていきましょうと色んな意見を出してもらいながら、保護者や地域の方々にも学校運営に参加してもらっています。

 

以下は、校長先生からのお話です。

『子ども達に地域の方々といろんな経験をさせたいです。
身近な大人(親や先生)はある程度、子どもを評価する立場ですよね。
それ以外の大人(地域の方々)と純粋に触れ合うというのが、豊かな心やコミュニケーション力を育てることに、とても有効だといわれています。昔ながらの伝統的な行事(六月灯・おねっこたっこ )も大切にしています。
広原校区は地域の方がすごく元気なので、少人数の学校ならではの良さを生かした教育に取り組んでいきたいと考えています』
 
その他学校の詳細についてはこちらをご覧ください。
 
 

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高原町広原小学校
所在地:〒889-4411 宮崎県西諸県郡高原町大字広原1472番地
TEL (0984)42-1085